全米最高峰の病院で救急医として働くための努力-志賀隆・国際医療福祉大学医学部救急医学教室教授◆Vol.1
スペシャル企画
2020年11月15日 (日)
聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)
メディアでも活躍する14年目の外科医、中山祐次郎氏(福島県郡山市の総合南東北病院外科)が医療界内外の「憧れの人」に会いに行く対談企画「一介の外科医、憧れの人に会いに行く」。第25弾は国際医療福祉大学医学部救急医学教室の志賀隆氏です。米国で救急専門医を取得し、日本で複数の救急部門を立ち上げ、現在は大学教授として研究、教育に携わる志賀氏と教育や救急医療のあり方について議論しました(2020年10月28日に対談。全5回の連載)。 中山:本日は今年6月に、「国際医療福祉大学医学部救急医学教室」の初代教授に就任された志賀隆先生にご登場いただきました。と、かしこまった感じの紹介になりましたが、普段は「志賀のアニキ」「志賀ちゃん」と呼んだりもしていて、親しくさせていただいています。せっかくの機会なので、普段はしないようなお話をしたいですが、まずは自己紹介がてら、大学教授になるまでのご経歴を紹介いただけますでしょうか。 志賀:大学は千葉大で、祐次郎先生と同じくサッカー部です。祐次郎先生、ゴールキーパーでしょ? 私はサイドバックでした。 中山:まじっすか。ちょっと意外なキャラ(笑)。何となく、中盤なのか...
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