埋もれかけた文書の山 - 岩手医大創設者・三田俊次郎の足跡
インタビュー
2018年11月23日 (金)
聞き手・まとめ:水谷悠(m3.com編集部)
岩手医科大学の前身である岩手医学専門学校を創設した三田俊次郎。明治から大正、昭和の三代にわたり、盛岡で医療・医学教育に心血を注いだ俊次郎の足跡を追った『明治=岩手の医事維新 医師・三田俊次郎の挑戦』(大空社出版)を、孫の夫人である弥生氏がこの8月に上梓した。執筆に至った経緯や、伝えたいことなどを伺った(2018年10月1日にインタビュー)。 著書を手にする三田弥生氏 三田俊次郎(1863~1942) 南岩手郡加賀野村磧町(現盛岡市加賀野)生まれ。県立岩手医学校(岩手医大と直接のつながりはない)、帝国大学医科大学(現東京大学医学部)撰科などで学び、1891年盛岡に三田眼科医院開業。1897年私立岩手病院、1928年岩手医学専門学校創設。岩手県医師会会長、盛岡市議会議員なども務めた。養子の定則は法医学者で東京帝大教授、台北帝大総長、岩手医大理事長、学長を歴任。実子の俊定も軍医を経て岩手医大理事長、学長を務めた。 三田弥生氏 盛岡市生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、昭和女子大学大学院文学研究科博士前期課程修了。岩手看護短期大学講師、社会福祉法人岩手和敬会理事。俊定の次男、光男氏の夫人。 ――三...
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