「長崎大に行って、医師になれ」と言われた子供時代◆Vol.5
スペシャル企画
2018年8月5日 (日)
橋本佳子(m3.com編集長)
――寄生虫や寄生虫病についてのさまざまな経験や記憶を、昨日のように熱く語る青木氏。どんな生い立ちで、どのような子供時代を過ごしていたのだろうか。生まれは1943年6月、場所は当時の満州(現中国東北部)だ。 父は陸軍の気象部に所属していました。しかし、現地で結核に罹り、終戦前に帰国。父の実家である茨城に戻りましたが、間もなく父は死亡したため、われわれ家族は、母方の祖母がいる佐賀に引っ越したのです。 祖母の子供は4人。しかし、長男は長崎大医学部4年生の時に原爆で死亡。毎年8月9日に開かれる医学部原爆慰霊祭で、私は2012年から2016年までの5年間、遺族代表としてあいさつしました。士官学校に行った次男は戦争中、ビルマ(現ミャンマー)で戦死。さらに長女と次女である母は、いずれも配偶者を戦争で亡くした。それで「青木」の姓を残すために、母が再婚した際、私は母方の祖母の養子になりました。 祖母の家は、代々続く医師の家系。親戚が長崎大医学部細菌学の教授をしていたことなどもあって、長崎には縁があった。私は小さい頃から、「長崎大に行って、医師になれ」と言われていました。 小学校に入学したのは佐賀で、3年...
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