東北大教授就任も、年収は半減◆Vol.17
スペシャル企画
2015年12月17日 (木)
橋本佳子(m3.com編集長)
――1981年に東北大学公衆衛生学教授に選考された久道氏。快諾したものの、その直後に迷い始めたという。それはなぜか。 教授選考が決まって約1週間後、大学の事務長が説明しに来てくれ、年収が半減することが分かったのです。 がん検診センターは民間ですから、センターの仕事のほか、アルバイトもでき、週1回は臨床をやっていた。それを合わせて当時の年収は1200万円くらい。一方、東北大学の教授は、当時は国家公務員。アルバイトはできず、年収は600万円ほどでした。「これは大変なことになったな」と思ったけれど、お金のことで断るのは、ちょっと格好が悪いかと……。 赴任した後の月給は、手取りで18万円(笑)。さすがにびっくり。当時、アメリカ留学から直接教授になった人がいて、「アメリカの給与は2週間に1回出る」と聞いていたから、「なんだ、じゃあ俺も2週間分か」と思ったら、全然来ないんだよね(笑)。 手取りが少なかったのは、税金が前年の収入を基に計算されるからです。これには本当にまいりました。私が教授になって、すぐにやったことは、住宅ローンの返済期間を2倍に延ばすこと。喫緊の作業でした(笑)。 医学部長から辞令...
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