最初から火中の栗を拾う覚悟だった - 長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏に聞く◆Vol.3
スペシャル企画
2011年7月5日 (火)
聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
住民への説明の仕方は、最初はクライシス・コミュニケーションだったが、その後、リスク・コミュニケーションに変わったという。 ――先生のお立場から見ても、政府や東京電力の情報の出し方は遅いなど、問題があるとお考えだった。 我々も情報をテレビで初めて知るぐらいでした。私が官邸に初めて呼ばれたのは、4月6日のことです。それまではもう現場一筋でした。 ―4月6日に官邸に呼ばれたのは、どんな理由からでしょうか。 原子力安全委員会には、40人を超す専門委員がいます。しかし、今回は官邸の一つの方針だと思うのですが、首相の直轄の形で、新たに専門家チームが作られました。その一つのチームの専門委員として呼ばれました。私は既に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーでしたから、お断りしたのですが、強い依頼があり、お引き受けしました。 官邸で、他の専門委員の意見を聞いても、私と同じ意見でした。しかし、私の場合は、官邸で話をするだけでなく、それを住民に伝えなければいけません。最初は危機管理、クライシス・コミュニケーションの立場からお話していたのですが、4月に文科省から「数字」が出た以降は、リスク・コミュニケーショ...
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